今日10月16日は、灰田有紀彦先生のご命日です。お亡くなりになったのは1986(昭和61)年のこの日ですから、今年で39年となりました。言問学舎塾長ブログに綴った文章を、敬体に改めて転載させていただきます。
39年と言えば、一人の人間が「不惑」を迎えようという年月であります。それほどの長い期間、「森の小径」や「鈴懸の径」に代表される、有紀彦先生の美しい灰田メロディーとともに生きて来られた私は、なんと幸せなのだろう、と思います。「森の小径」、「鈴懸の径」に代表される美しい灰田メロディーが、時として私を救い、慰め、そして前へ進む強い力を与えてくれました。これまでにもいく度か、この10月の文章として書かせていただいていますが、有紀彦先生の美しいメロディと、勝彦先生の力強い、まっすぐな歌声が、正しく生きる力を与えて下さったのです。
3年前まで、私は毎年勝彦先生のご命日にお墓参りをさせていただいておりましたが、所沢の聖地霊園にあった有紀彦先生のお墓にも、一度お参りさせていただいたことがあります。有紀彦先生のお嬢様に、お連れいただいたのです。恩愛を賜った先人を偲ぶ際、お墓参りをさせていただくのは、在世中にお目にかかることのできなかった後代の者にとっては、究極に近い追慕の営みと言っていいと思うのですが、それはお導き下さる方があってはじめてなしうることだと、改めて感謝の思いを深くしています。勝彦先生のお墓参りに伺うようになったのにも、灰田ファンの大先輩のご依頼で同道したという経緯がありましたが(これもお導きであります)、その際もお嬢様に、お寺の所在をお教えいただいたのでありました。
さて、前にも書いたことがありますが、灰田有紀彦先生の作品には、勝彦先生がお歌いになり、「ハワイアン風流行歌」と呼ばれた一群があります。昨年歌わせていただいた「アロハ東京」や「ハワイのセレナーデ」、そして「ただ一つの花」などです。「ただ一つの花」は、一昨年の10月26日、勝彦先生のご命日に歌わせていただき、YouTubeにアップしております。有紀彦先生のご作曲で、モアナグリークラブ及び楽団ニューモアナを通じて先生ご兄弟とともに活躍なさった永田哲夫先生が作詞されたものです。永田先生には、1992年の10月26日に、当時赤坂にあった「白石信とナレオハワイアンズの店 タバ・ルーム」で『遠い道、竝に灰田先生』の出版を記念し灰田ご兄弟を偲ぶ会を開いていただいた際、お目にかかっております。
ただ一つの花を胸に、ささやかな喜びを見出し、夢を持って生きた人々、灰田メロディーによって人生のしるべを見つけた人々が、おおぜいいました。私もその中の一人です。有紀彦先生のご命日である今日、今年もまた、先生に深い感謝を申し上げたいと思います。
令和7(2025)年10月16日
小田原漂情