今日、9月30日という日に、特別な思いをお持ちの方々もいらっしゃることと思います。28年前、1997(平成9)年のこの日、上野から高崎を経て信州と越後まで104年間にわたって多くの旅人や物資を運び続けた旧信越本線の横川‐軽井沢間が、廃止されたのです。翌日、10月1日からは、当時は長野(行)新幹線と呼ばれた北陸新幹線が開業し、66.7‰(パーミル)という急こう配の難所を越えた愛称「横軽」(古くは碓氷線)の鉄路を列車が走ることは、二度となくなりました。
横軽(碓氷線)は、明治26(1893)年の開通から昭和38(1963)年までは66・7‰のこう配をクリアするために、機関車の台車(車軸)側にある歯車(ピニオン)をレールの中央部に敷かれた歯軌条(ラックレール)に噛ませる「アプト式」という、スイスなどの幹線ではない鉄道で用いられていた方式を取り入れました。このアプト式の時代、ベテランの機関士でも、歯軌条とピニオンがうまく噛み合ってくれるよう、毎回祈るような心境だったのだといいます。
アプト式による碓氷越えは、早くから信越本線の輸送上のネックとなっていました。そこで昭和38(1963)年10月、新線を一本建設し、旧線を一部転用して、複線で通常の粘着運転をする方式に改めた碓氷新線が開業しました(新線開通から複線完成まではタイムラグがありました)。それを可能にし、北陸新幹線長野開業を翌日に控えた平成9(1997)年9月30日まで休むことなく活躍したのが、碓氷峠専用に開発されたEF63形電気機関車、愛称「ロクサン」です。
私は大学2年の時にはじめて碓氷線を通ってから、その魅力に強く惹かれました。つごう7,8回は、碓氷線の上り下りを楽しんだと思います。1997年の廃業間近の頃には、長岡からの出張帰りの上越新幹線を高崎で下り、高崎から特急「あさま」で軽井沢まで行って、軽井沢では改札の外に出ただけで、上野までとって返しました。90年代のはじめ頃には、小諸‐横川間だけを、特急でなく3輌編成の普通列車で行き来したこともありました。
碓氷線との別れを惜しんで書いたのが、『小説 碓氷峠』です。出版は諸事情あって2年半後の2000年3月となりましたが、刊行当時は地方紙、地方版数紙に紹介していただき、好評を博することができました。
また当時から25年の長きにわたり、碓氷峠鉄道文化むら様で販売していただいておりました。100ページに満たない、軽い小説本ですが、多くの先達から貴重な写真をお借りすることができ、口絵としてロクサンやアプト式ED42、189系・489系「あさま」のほか、私が生まれる前年に廃止された貴重な草軽電鉄の写真をも、収録しております。碓氷峠鉄道文化むら様での販売は今年4月で終了となりましたが、ひきつづき言問学舎及びAmazonでは、販売致しております。
「君子です。早川君子でございます。…ずっとお慕いしておりましたのよ…。」 君子は震える手で遺影を受け取り、その面ざしに見入りながら、ふり絞るように言った―。
鉄道好きの方以外にも楽しんでいただける、碓氷線の機関士と奥ゆかしい娘との淡い恋物語です。B6判91ページ、本体価格1000円+税、2000年3月画文堂版。Amazonでご注文いただけるほか、言問学舎店頭でも購入していただくことができます(メール注文での通販にも対応いたします)。なお電子書籍版も発行しておりますが、そちらには口絵はありません。
また言問学舎から昨年出版した『さらば北陸本線‐鉄路の韻き』には、「小説 碓氷峠」の続篇(姉妹作)である「小説 鉄の軋み」(2009年「ノスタルジックトレイン」No.3初出の作品)を収録してあります。碓氷線や北陸新幹線のことを、小説以外の文章でもくわしくお伝えしていますので、碓氷線のことをくわしくお知りになりたい方には、うってつけの本だと言えるでしょう。「小説 鉄の軋み」単体の電子書籍版もありますが、やはり口絵は載っておりません(『さらば北陸本線‐鉄路の韻き』は、現ハピラインふくいの区間となっている旧北陸本線や、米原‐敦賀間などの北陸本線の口絵写真が豊富に掲載されています)。
『さらば北陸本線‐鉄路の韻き』は2024年7月言問学舎発行、B6判276ページ、本体価格1500円+税です。Amazonでご注文いただけるほか、言問学舎店頭でも購入していただくことができます(メール注文での通販にも対応いたします)。特に『小説 碓氷峠』『さらば北陸本線‐鉄路の韻き』を2冊同時にご購入下さる場合、送料等の点で言問学舎にお申しつけいただくのがよろしいかと思います。メールまたは電話で、お気軽にお申しつけ下さい。