8月15日、終戦(敗戦)から満80年の日となりました。言問学舎塾長ブログの文章を、敬体に改めた上で転載させていただきます。
8月6日の広島、9日の長崎についての文章でも書いた通り、1945(昭和20)年から、今年で満80年となりました。私自身が強烈に記憶しているのは、半世紀の節目であった「戦後50年」のことであり、その後の60年、70年の時と比べても、探さずに目にする記事、ニュースのたぐいは少ないように感じられます(先日も書きましたが、件数の検分などをしたわけではありません)。
考えられる理由の一つに、80年という時間を経て、直接に経験を語れる人が大きく減少しているのであろうことが挙げられます。広島、長崎で直接原爆の被害に遭ったいわゆる「被爆者」の平均年齢は86歳を超え、逆にその総数は10万人を下回ったのだといいます。男性81.09歳、女性87.13歳という平均寿命(2024年、NHK)から考えても、あの戦争を直接経験した人が相次いで世を去っていかれるのは、避けがたい事実でありましょう。また、「伝える現場」の責任者クラスの年代の人たちについて、自分の親が戦争経験者でない割合も、年々上昇していくと思われます。
私ごとですが、満93歳の家内の母が、9日夜に他界しました。私にとって義母であります。身の回りからまた一人、戦中、戦前を知る人が去ってしまいました。奇しくも、最期を迎える入院が8月6日、みまかったのが9日、そして通夜が今日、15日です。そのすべての日付に、私は毎年文章を書き、本欄に掲載していますが、それぞれの日付で文章を書き上げ、掲載できるだけの時間を配分し、与えてくれたような最期でありました。
私がこの義母から、直接戦時のことを聞いた機会はあまり多くないのですが、家内を通して、いくつかの生々しい体験を教えられています。また21年前に他界した義父は、陸軍の歩兵として中国戦線に送られていたことがありました。義父は、義母には話していなかった体験を娘である家内に教えてくれたことがあるなど、家内を経てのことではありますが、義父母から教えられた「戦争体験」を、私は自分自身の記憶と思惟の中に刻みこんでいるのです(もちろん自分自身の両親や、親族、師や多くの知人、先人たちから教わったことと一体になっています)。
よくある言い方ですが、明日からは戦後81年目であり、10年ごとの節目でいうなら、戦後90年、100年へと向かっていくことになります。直接の経験者が少なくなっていくのは避けられないことであるにしても、その人たちや、あるいは戦争で亡くなった方たちが残した「戦争は絶対にあってはならない」という言葉の重さが薄れていくことは、看過するべきではありません。言葉を扱い、また教える立場として、さらには近しい経験者からその思いを受けとった立場の者としても、言葉の上でそのことを伝えつづけ、引き継ぎつづけていかねばならないことを、改めて肝に銘じた、今年の8月15日であります。
令和7(2025)年8月15日
小田原漂情