夏期講習を前に、どうしても国語や諸科の勉強、受験について書くことが多くなりますから、今日はそこからすこし離れて、私自身の子どもの頃の、書くことと夏休みについて、お話ししたいと思います。
子どもの頃、に限定するのは、高校生になってからは文学かぶれになっていましたから、その時期のことは多くのお子さんたち、保護者の方々の参考にはならないと思われるためです。
さて、「書くこと」ではっきり記憶しているのは、中学1年の夏休み、国語の宿題で、夏休みのできごとを作文に書くというものでした。そこで私は、8月上旬に家族で旅行した塩原温泉のことを書いたのです。当時の塩原温泉は渓流沿いに大きなホテルが立ち並び、観光馬車(トテ馬車)がゆったりと歩みをきざんでいました。泊まったのは父の会社の同僚の実家の旅館でしたが、すぐ前に箒川(ほうきがわ)が流れていて、早朝父の先導で川を渡って、釣りをしました。それまでにも長靴で川の浅瀬を歩いたことはありましたが、素足にサンダル履きで渡る早朝の川の水はびっくりするほど冷たく、五十年経った今でもその鮮烈さがよみがえるほどでした。9月になって提出した作文にも、そのことが強い印象として書かれていたはずです。
後年、短歌のほかに紀行文をたくさん書くようになり、この中学1年の夏休みの作文を思い返すことも時おりありました。その宿題を出して下さった先生(クラス担任でもいらした国語の先生)に、感謝するところ大なるものがあります。また、今後3年間の言問学舎の出版計画はあらかた決めてありますが、いつか紀行文も1冊の本としてお目通しいただければと思っています。
次に思い出すのは、中学3年の夏休みに毎日書いた日記です。私が日記を書いたのは、あとにも先にも、この夏一度限りでした。高校の頃に詩や短歌を書いたノートは三十代半ばまで保存してありましたが、この日記はたぶん高校生のどこかのタイミングで、捨ててしまったのでしょう。「文学作品もどき」の形にさえなっていなかったので、価値のないものと考えたのだと思われます。
従って、「たぶんあんなことがらを書いていたのだろう」と想像することはできますが、今となってはどういう文章だったのかも、さぐることはできません。
注)写真の川は長野県富士見町の立場川であり、塩原の箒川ではありません。

ただ、多感な時期に、はじめて思うところを思うままに書きつけた経験は、貴重なものだったと思います(そこから、文学にのめりこんで行ったように思われます)。日記に書いた内容は忘れましたが、それよりも古い塩原温泉の思い出は、ある部分が鮮明に残っているのです。「書くことによって記憶が残る(定着する。ただし、それは文章として書かれた内容の通りにですが)ということは、明確な事実です。
いま少し紹介したい事例と、私個人の経験をひろく子どもたちに敷衍(ふえん)する段階があるのですが、あまりに長くなりますので、その分は筆を改めたいと思います。
夏期講習前、このあとの夏期講習説明会の日程は次の通りです。全学年、まだ受け入れの余地があります。
◇夏期講習説明会ご案内
7月9日(水) 14時00分~
7月12日(土) 10時15分~ / 13時00分~ / 17時00分~
7月15日(火) 11時00分~ / 14時00分~
7月17日(木) 11時00分~ / 14時00分~
※所要時間は各回とも50分程度を予定しています。予約不要、当日飛び込み参加可ですが、全体説明後の個別相談は予約を含む先着順となります。13日(月)以降の追加日程は、有無を含めて後日ご案内致します。
説明会日程以外の日にも、個別相談をお受け致しております。無料体験授業も随時参加可能です。お気軽にメール・電話でご相談下さい。なお、生徒全員の学習環境を保持する考えから、マスクが苦手でない方にはひきつづき塾内でのマスク着用をお願いしております(入塾後の授業時についてのお願いです)。
多くの方のご来塾をお待ち致しております。大学受験生(総合選抜を含む)も、夏休み前から動くことがきわめて重要。小学生から高校生まで、幅広い層の方をお待ち致しております。ご不明な点などありましたら、メールまたは電話で、お気軽に言問学舎舎主・小田原漂情までおたずね下さい。お待ち致しております。