昨日、4月18日金曜日に、横浜市中区にある横浜学園附属元町幼稚園にお邪魔し、中島敦『山月記』の文学碑を見学、写真を撮らせていただきました。
中島敦は、ご存じの方が多いと思いますが、明治42(1909)年の生まれで『山月記』、『李陵』などの名品を残しながら、昭和17(1942)年にわずか33歳で逝去した作家です。『山月記』は現在「文学国語」の教科書に掲載されており、指導要領改訂前は「現代文」などの教科書に、長く掲載されてきました。私も46年前の高校2年生の時に教科書で最初に読みましたし、十歳ほど年長の知人も、やはり高校時代に衝撃を受けたと教えてくれました。長く読み継がれている名作です。
「臆病な自尊心と尊大な羞恥心」
この印象的な、虎になってしまった『山月記』の主人公李徴の自己分析の言葉を、ご記憶の方も多いでしょう。後述する言問学舎刊の書籍のために、先日から『中島敦研究』(1978年、筑摩書房)を読んで勉強していますが、中村光夫先生ほか多くの評者が、「臆病な自尊心」は中島敦ご当人のものだったという意味のことを、書いておられます。
また、『山月記』文学碑のある元町幼稚園の園庭は、かつて中島敦が勤めた横浜高等女学校(現横浜学園)の敷地だったということです。中島敦は「トン先生」と呼ばれて生徒から慕われたそうですが、持病のぜんそくに苦しみながら彼が勤めた学校ゆかりの地で碑文に書かれた『山月記』冒頭の一文を音読すると、李徴である虎の嘆きが、中島敦その人の嘆きであったように感じられ、居ずまいを正しておりました。
元町中華街駅からアメリカ山公園への出口を経て、中島敦の歌碑もあるという外国人墓地の入り口の前を通り、一度港の見える丘公園で海の写真を撮ってから、元町幼稚園へ向かいました。神奈川近代文学館の「山手・関内文学散歩地図模型」で中島敦が歩いた道と示されている山手本通りを歩いてゆくと、「山月記」をこれからの若者たちに教えつづけることこそが、まさに私のなすべき仕事であり、またそのような機会に恵まれていることの幸いを、思わずにいられませんでした。
<隴西(ろうせい)の李徴は博学才穎(はくがくさいえい)、天宝(てんぽう)の末年、若くして名を虎榜(こぼう)に連ね、ついで江南尉に補せられたが、性、狷介(けんかい)、自ら恃(たの)むところ頗(すこぶ)る厚く、賤吏(せんり)に甘んずるを潔しとしなかった。> 中島敦『山月記』冒頭の一文
塾の高校2年生のうち1人の学校では、2年生になってからの国語の授業で「山月記」がすでにはじめられたようです。今年の高校2年生の期末テストに間に合うように『スーパー読解「山月記」』を出版するべく、鋭意準備をすすめております。準備が整いましたら、近刊案内としてお知らせ致します。いま少しお待ち下さい。
※高校2年生は、「山月記」の授業を無料体験することができます。高校2年生の授業は毎週金曜日の19時20分~20時20分です。また既報の通り、4月23日と30日の各水曜日、高校3年生(既卒大学受験生を含む)は19時20分~21時25分の拡大2コマで、大学受験の国語(総合選抜対策を含む)を無料体験できます。入塾説明会も随時開催します。無料体験授業ご希望の方はお気軽にご相談下さい。