YouTubeでお届けしている「詩の朗読」では、高村光太郎の『智恵子抄』の作品を、多く読ませていただいております。その詩集『智恵子抄』には、光太郎が、知り合ってからの智恵子の半生を、悔いと感謝と深い愛によって書きつづった、「智恵子の半生」という文章が、掲載されています。
昭和13年(1938年)10月5日に智恵子が亡くなり、光太郎は「一時は自己の芸術的製作さへ其の目標を失つたやうな空虚感にとりつかれた幾箇月かを過した」のち、「或る偶然の事から満月の夜に、智恵子はその個的存在を失ふことによつて却て(かへつて)私にとつては普遍的存在となつたのである事を痛感し」、以後、「元素智恵子は今でもなほ/わたくしの肉に居てわたくしに笑ふ」(「元素智恵子」)というように、智恵子はずっと光太郎の身近にある存在として、光太郎の生と芸術、文学を支えつづけたのです。
手もとにある文庫本で24ページにわたる、長い文章ですから、全体を5回か6回に分け、光太郎が「あはれな彼女への餞(はなむけ)」として綴った稀有なる文章を、ご紹介していきたいと思います。特に、『智恵子抄』の「松庵寺」以降の詩作品を勉強する方たちには、この「智恵子の半生」の内容を、しっかり受けとめていただきたいと考えます。
また昨秋、一度ご案内済みではありますが、「詩の朗読」の中の「レモン哀歌」をリニューアルしました。この場をお借りして、改めてご案内させていただきます。あわせてお目通しいただければ幸いです。
※小田原漂情 レモン哀歌 で検索していただくと、ダイレクトに「レモン哀歌」を、またそのYouTubeのページの「小田原雅史」という名前をクリックすると、「智恵子の半生」をご覧いただくことができます。
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