今日は午前10時45分からの長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典を視聴してから出社しました。近年、この9日も午前の授業を設定しない落ち着きを持つことができ、長崎の式典を視聴してから出社する習慣が定着しています。
また、私はこれまでに、長崎を4回訪ねています。最初は高校の修学旅行、二回目は大学の合宿で佐賀に行った帰路に足を伸ばしたもので、この時は平和公園などに行っていません。3回目は1995年、戦後50年の年の梅雨時で、長崎原爆資料館などを訪ね、はっきりと長崎の原爆について学ぶことを目的としていました。梅雨にしては激しい雨の中でしたが、平和公園、長崎原爆資料館を訪れ、ひきつづき永井隆記念館をめざす途上で如己堂(にょこどう/永井博士がお子さんお二人と暮らされたご自宅の跡)に出会ったのでした。また自分なりの課題として、聞く人がいたわけではないのですが「長崎の鐘」を雨の市中で歌わせていただきました。32歳の時であります。
そして4回目が一昨年、2022(令和4)年3月で、『国語のアクティブラーニング 音読で育てる読解力 小学5年生以上対象3』をつくるための取材でした。この時は、長崎で案内をして下さる方があり、平和公園と原爆資料館のあと、私が希望した如己堂に加え、山里小学校と城山小学校に連れて行って下さいました。この時両小学校に連れて行っていただいたことから、実地で案内をしていただくことがこの上ない恵みであることを、実感しました。
城山小学校平和祈念館では、館内の展示で、二人の少女が荼毘(だび)に付されている「未来を生きる子ら/悲しき別れ・荼毘」の絵と紹介文を見ることができ、『国語のアクティブラーニング 音読で育てる読解力 小学5年生以上対象3』で書かせていただきました。
また、城山小学校の構内で「嘉代子桜」を見て手を合わせ、あとで新日本出版社刊の『かよこ桜』(山本典人さく/井口文秀え)を購入しました。帰京してから同書を読み、学徒動員で城山小学校の工場で働いていて原爆の犠牲になった嘉代子さんのために、お母さんが桜を植えられた経緯、当日の朝嘉代子さんは工場に行きたくないと渋っており、説得して送り出したお母さんが悔悟の念にかられたことなど、あらためて学んだ次第です。
今日の長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典では、89歳になられる被爆者代表の三瀬清一朗さんが「平和への誓い」を述べられました。三瀬さんは岸田首相に、被爆国日本こそが、核廃絶を世界中の最重要課題として真摯に向き合うことを求めた上で、最後は英語と日本語とで、「”peace is a world heritage shared by all humankind”、平和は人類共有の世界遺産であると申し上げ、亡き御霊へささげる平和への誓いの言葉といたします。」と結ばれました。人類共有の世界遺産を守ることを、私も自ら肝に銘じ、指針とさせていただきたいと思います。
