お恥ずかしい話ですが、手先が器用な方ではありません。子どもの頃は「不器用」だったと言った方が正確でしょう。だから、61歳6ヶ月になる今日のこの日まで、鶴(折り鶴)を折ったことがありませんでした。もちろん子どもの頃折り方を教えてもらったことはあるのですが、単純な二つ折りから先へ進めず、挫折した、というより投げ出したのです。
しかし昨年『国語のアクティブラーニング 音読で育てる読解力 小学5年生以上対象3』を刊行するに当たり、広島平和記念資料館所蔵(展示)の佐々木禎子さんの写真を掲載させていただくこととなって、これではいけないと思い至りました。何よりもまず、禎子さんが精一杯の願いをこめて折られたという(鶴を千羽折れば病気が治る、という言い伝えによるという)鶴を、自分で折ってみなければ。そう考えたのです。
昨年は、そもそもが超繁忙期であり、内容が重く許諾申請等も煩雑な出版物2点(いま1点は『スーパー読解「舞姫」』)を終えたせわしさと疲れもあって、「みずから鶴を折る」という目標を実行することはできませんでした。それがやむを得ないことだったとすれば、今年こそ、私自身が鶴を折ることに挑戦しなければなりません。思い立ったのは比較的早い時期でしたが、実際のところは4日日曜日から、家内に教えてもらいながら、見よう見まねで折ってみることにしたのでありました。
やってみると、何か所かわかりにくいところがあり、子どもの頃に挫折したのはここだろう、と察しがつきました。しかし今回は投げ出すわけにはいきません。折り方のマニュアルも用意し、わからないところは塾生の女子高校生たちにも教えを乞うて、6日になってようやく何とか折ることのできたのが、写真のものです。不細工な点はおゆるし下さい。
鶴を折る過程で、二箇所、難しいところがあります。禎子さんは、薬やキャラメルの包み紙などで鶴を折られたと読んだことがあるのですが、そのように小さな紙で、よくその箇所が折れたものだと感嘆しました。また、鶴を折る行為に病気回復の祈りをこめた禎子さんのお心の一端が、わかるような気もしました。いや、それはおこがましいですね。禎子さんのことを多少なりとも書かせていただく立場として、鶴を折るという行為を身につけることは避けて通れないことであり、ようやくその端緒についた、それだけのことにすぎないのです。
「鶴を折る」ことを、今後私が禎子さんと広島、長崎の原爆の犠牲者のことを語り、伝える営為の中の不可欠の要素としよう。そのことを、今朝8時から広島で行なわれた「広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式」を例年通りに視聴しながら決意しました。今日新しく奉納された名簿の、この一年間に亡くなられた方の人数は5,079人、名簿にお名前のある死没者の総数は344,306人になったとのことです。また、「被爆者」の平均年齢が85、5歳を超えたといいます。受け継がなければならないわれわれに、重い覚悟が求められます。
『国語のアクティブラーニング 音読で育てる読解力 小学5年生以上対象3』の中の、「忘れまい、八月六日の広島の朝を」で、小・中・高生に広島のことを伝えています。
