この「夏期講習2024言問学舎」の初回ご案内でも、「夏休みは国語力、読解力を大きく伸ばす好機」という意味のことをお伝えしましたが、実際のところなぜそうなのか、というところをお話しさせていただきます。
はじめに、一番わかりやすいところから理由を挙げると、それは「テストから離れられる」ことにあります。中学、高校の定期テストは言うに及ばず、小学校でも、学校の授業がある限り「テスト」がこれだけの長い期間実施されないことはありません。これは大切な機会です。なぜならテストがあれば当然、子どもたちは「国語」と言えば「テストで正解を見つけること」、「いい点をとること」が求められているのだと考えるようになるからです。
言問学舎は「塾」ですから、もちろん「テスト」を否定するものではありません。むしろ、生徒の学力を測り、理解度の力試しをするために積極的に活用しますし、入試では国語を得点の「稼ぎ頭」にさせるほどです。
しかし、テストには時間、分量の制約と、仕組みとしての弱点、さらに大きな子どもへの弊害があります。
制約と弱点については稿を改めますが、弊害についてここで述べると、苦手な子、得点が低い子はそれによって苦手意識や嫌悪感までふくらませてしまいます。得意な子も、正答を見つけることが目的となり、だいたい思考はそこで終わってしまうことになるのです。
夏休みに「テストから離れられる」のは、その弊害から一時的にでも解き放たれ、深く文章と真向かうことのできる絶好の機会であります。特に小学生の読書感想文指導は、その願ってもないチャンスと言えるでしょう。
二つ目に、夏休みは「心が動きやすい」ことが挙げられます。「心が動く」と言っても、文学作品に感動することだけを指すのではありません。
宇宙の神秘に目覚めて天体の勉強に夢中になり、天文学者をめざすようになった。飛行機やロケットがなぜ空を飛べるのか、メカニックに興味を持ち、機械工学の道を進路に選んだ。これらもみな、はじめに目覚めた段階において、「心が動いて」いるのです。「知的好奇心」と言えばわかりやすいでしょうか。
ジャンル、対象は何であれ、関心が引き寄せられ深くその内容に入りこむ時、最初に起きているのは「心が動く」ことです。その結果文章を深く読み考えを発展させる、これすなわち国語力、読解力が向上する過程にほかならないのです。

もちろん、言問学舎の夏期講習に来ている子どもたちの全員が、その夏の間に上記の例のような「一生の道との出会い」を得るわけではありません。むしろ普通の夏休みを、普通に過ごす子がほとんどです。しかしその普通の、何気ない毎日の中にも変化があり、それをとらえる「心」が動きやすくなる、そうした場面が多くあるのが夏休みだということは、確実に言えます。
ある年、生徒の付き添いに来ていたお母さんと未就学の弟が外を歩いていて、東大生らしき人からカブトムシをもらいました。構内にいたそうです。しばらくそれを塾で預かっていましたが、当然ながらカブトムシは子どもたちの注目の的になりました。また最終的には、一人の生徒が家に引き取ってくれて、カブトムシも天寿を全うしたと思われますが、その子にとっては良い夏の思い出になったことでしょう。
さらに、ここ数年の天候の変化で話しづらい時もあるのですが、夏休みは「季節の話」をしやすい時期です。藤原敏行のこんな歌があります。
秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる
「秋が来たということが、目にはっきりと見えるわけではないけれど、さっと吹きすぎる風の音に、はっと気づかされたことだよ。」が大意となりますが、子どもたちに、これはいつ頃のことだと思う?と、聞いてみるのです。立秋過ぎ、8月7日から10日くらいにかけての授業の中で、です。ちょうどその頃、そんな日があればわかってくれる子もいるのですが、だいたい子どもたちは、8月いっぱいは夏だと思いこんでいます。でも「立秋」と言って、この日から暦の上では秋なんだよ、と教えてあげて、子どもたち自身が季節の変化とともに実感できる、そんな「心の動き方」もあるのです。
このように、「テストから離れられ」、「心が動く」ことの多い夏休みは、子どもたちが国語力、読解力を大きく伸ばす大きなチャンスです。この二点がそろうのは夏休みだけですし、こうした「時」を持つことができるのは言問学舎だけです。言問学舎の夏期講習では、「心が動く」ような仕掛けをいくつも子どもたちにさし出します。そして子どもたちの「心」が少しでも動いていたら、そのサインを見逃さず、ぐっとつかまえてぐいぐいと伸ばしてあげます。だから夏休み=夏期講習は、国語力、読解力を伸ばす大チャンスと言えるのです。
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