古い話で恐縮ですが、1988年、私は25歳でしたが、最初の転職をしました。転職先は学習参考書の出版社で、つまりもう30年近く、教育業界で生きて来たことになります。その会社の中途採用の入社試験で、何文字だったか忘れましたが短い作文があり、まさに「塾」に対してあなたの思うところを述べて下さい、という設問があったのです。
私はその時、「塾とは人を育てるものだと考える。緒方洪庵の『適塾(適々斎塾)』や吉田松陰の『松下村塾』が、有為の人材を多く送り出したように。」という内容の文を書いて出したことを、時々思い出します。めぐり巡ってこの言問学舎をはじめるに至った契機と存念は、必ずしもその通りではないのですが。
ただ、「学習塾」である言問学舎を経営しながら、やはり「塾」としての本義の過半が「人を育てる」ことにあるのは間違いないと、つねづね思うのも事実です。また適塾や松下村塾を挙げたのは、現実に塾の運営をするようなポジションでのことではなかったからで、昨今よく言われる「リーダーとなりうる人材の育成」などを指針とするのでなく、縁があり、何かを求めている子どもたちの役に立ちつつ、その子たちをしっかり育てて行くことが、私の持ち場であると考えます。
時には、なまけたい、あるいは悪ふざけしたい子どもたちにきびしく接する必要もあります。それは、「勉強」において、なおさらということがあります。子どもの頃につらい思いを乗り越えて成長することは、生きる上で本当に大きなことです。漢字をしっかり書く、計算をきちんとする、途中式をこつこつ書く、といったことが、あとの長い実人生で役に立つということなど、当事者である子どもたちにはわかりません。だから大人が、うまくそうしたことを習慣化させてやることも、重要なのです。
また、「国語の力」をできるだけ多くの子どもたちに伝えることが、いま一つの大きな役割だと考えています。本を読むことで、いろいろな人の考えを知ることができるということは、古来言われている国語のすぐれた特性の一つですが、言葉の持つ音韻が、極言すれば人を救い、生かし、力を与えるということをも、具現化して子どもたちに手渡したいと思います。以上を総合したものが言問学舎の「塾」としての姿であり、私の考える「塾」のスタイルという、標題の問いに対する答えであります。
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