言問学舎は今年創立20周年を迎えました。これまでは新館のご案内以外、この「エキテン」には国語関係の記事を掲載していませんでしたが、創立20周年に当たって「真の国語の学び方」をお伝えする記事を再構成しておりますので、ランダムにではありますが、こちらでも一部の記事をご案内させていただくことと致します。
第1回は、「国語の文章は、どうすれば『わかる』ようになるのか?」です。
わかる、ということは、あらゆる教科に共通して求められることです。数学や理科は、その過程が比較的明らかであり、一番わかりにくいのが、国語の文章の内容理解であるとも、よく言われます。わかる人は教わらなくても(ある程度)わかるし、いくら勉強してもわからない、そもそも勉強の仕方すらわからない、という声も、よく耳にします。
これは、国語を専門として教育に携わる私にも、実は永遠の課題です。なぜなら、「わかる」か「わからない」か、その判断をするのは受講する生徒であり、どのように生徒に「わからせるか」が課題である以上、新しい生徒が来ればその分だけ、次々に課題が発生するからです。また自分自身も常に新しい指導の仕方を模索して行くわけですから、「これがひとつの正解だ」というものは、存在しえないのです。
とはいえ、いくつか有効な手法はあります。普遍的なところを、挙げてみましょう。
1.読みの誤りを正す。「音読」が効果的。
2.生徒自身にわからないところを見つけさせ、質問させる。
3.文章の中の重要な箇所について、生徒に問い、理解度をチェックする。ここで文章の「骨格」について、生徒自身に考えさせる。もちろん不明な点、大事なことは、徹底して教え、理解させる。
4.概括的に、難しい言葉や内容、関連することがらを教える。3の補足・発展。
このようなところです。さらに、時間があればその文章の内容について、200字~400字程度で、感じたことを書かせれば、さらに理解は深まります(ひととおり理解できている前提で)。
実際は、文章の内容にそれぞれ違いがあり、生徒の得手不得手、生徒の個性と理解力、学校での教わり方など、各回ごとに教え方は異なります。「生徒の個性と理解力」にまで対応し、「その生徒に最適の教え方」で指導するため、言問学舎で国語を勉強すれば、きちんと文章が「わかる」ようになるでしょう。
