4月6日に入学式がありました。真新しい帽子をかぶり、ランドセルを背負った新1年生たちが、そろそろ友だち同士元気よくおしゃべりしながら、下校するようになって来ました。つい十日ほど前にはお父さん、お母さんたちに手をひかれ、おずおずと学校に向かっている印象でしたが、最寄りの誠之小学校では、一昨日上級生たちとの対面式もあったらしく、一日一日と、学校に馴染み、小学生らしくなっている様子がうかがわれます。
14日火曜日に、「桜草短歌会」立ち上げのお知らせをさせていただきましたが、今日は「短歌を書く(詠む、作る)」ことについて、すこしお話しさせていただきたいと思います。
短歌という短詩は、『萬葉集』以来千三百年を超える歴史を持ち、また誰にでも(古くは天皇皇族・貴族から一般庶民まで)歌える詩形として、親しまれて来ました。そして五句三十一音という短い形式の中に、さまざまな内容を盛ることもでき、その韻律が人の心ばかりか、「天地(あめつち)を動かし、目に見えぬ鬼神をも、あはれと思」わせる(古今集仮名序)、奥の深い短詩なのです。
標題は、一昨日書いた私の歌の一部ですが、全体は次の通りです。
いとけなき下校の子らの声はずむ四月なり陽に輝(て)らふ葉ざくら
卒業式から入学式にかけて盛りだった桜の花が散り、葉桜の頃を迎えると、初々しく学校に通い始めた新1年生たちも、少しずつ新しい環境に慣れ、元気に下校してゆく、そんな姿を、三十一音の歌の中に、あらわすことができます。
短歌を書く動機(心の要請)は、人によってさまざまです。私どもの「桜草短歌会」は、昨年10月にスタートした文学サイト「美し(うまし)言の葉」を母体としておりますが、サイト内の「芽吹く言の葉」に作品をお寄せ下さる方の中には、日々の生活やご家族のことを、楽しくかつシャープに切り取って、日常のスケッチのように短歌を書きつづられる方もおられます。
一方、私自身の十代後半から二十代前半を振り返れば、誰にも語ることのできない青春の痛みを、ただひたすら短歌に込めていたのです。短歌はそうした思いを受けとめてくれる、ほぼ唯一の詩形と言っていいでしょう。
このように、短歌が引き受けてくれる、すなわち短歌に盛ることのできる内容は、非常に幅広いものがあります。また「桜草短歌会」では、文語にこだわらず(主宰である小田原漂情、石井綾乃は、文語脈中心ですが)、口語体の短歌にも、対応します。そして経験のない方にも第一歩からきちんと助言、指導を致しますので、「短歌をはじめてみたい」という気持ちだけお持ちであれば、どなたにでもご参加いただけます。
直接おたずねになりたいことがありましたら、言問学舎までお問い合わせ下さい(14時〜15時半にお願いします)。多くの方のご参加をお待ち致しております。また「美し言の葉」をご覧いただくには、「うましことのは」で検索していただくか、言問学舎ホームページの「最新のお知らせ」を開き、このお知らせと同じタイトルの記事をご覧下さい。「桜草短歌会」の開催案内も載っていますし、添削・批評のページ「芽吹く言の葉」をご覧いただけば、「桜草短歌会」のめざすところも、おわかりいただけると思います。
◇電話番号は以下の通りです。
03‐5805‐7817 「エキテン を見た」とお伝え下さい。
メールは「お問い合わせはこちら」よりお願いします。
◇国語全般の勉強に関しては、店舗情報詳細のURLより、「国語力.com」を、あわせてご覧下さい。
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