愛知県岡崎市の曹洞宗 深恩山「廣祥院」
お世話になった故人様に感謝を伝えるご葬儀をお手伝いいたします
永代供養や墓地のご相談も承ります
【廣祥院の3つの特長】
①しめやかに執り行うご葬儀
曹洞宗の儀礼に則ってご葬儀をしめやかに執り行います。
お近くの葬祭場やホール、ご自宅でのご葬儀に出向も行っておりますので、お気軽にお問い合わせください。
②故人様もご遺族様も安心の永代供養
ご遺族様やご子孫様に代わり、故人様のご遺骨を永代にわたって供養いたします。
ご要望があればご遺骨の一時預かりも承ります。
③自然に囲まれた静謐な墓地
都会の喧騒から離れた静かな環境で故人様のご遺骨を責任を持ってお守りいたします。
ご要望の方は遠慮なく当山までご相談ください。
【廣祥院の縁起】
廣祥院は吉野朝時代建武年中(約640年前)に、征夷大将軍となった足利源尊氏公が執権高師重に台命し、三河国日近郷に八幡の社とともに堂宇伽藍を建立したのが始まりだといわれています。
当初は深恩院総持寺と号する真言密乗の宗旨でしたが、延文年間(1356〜1360年)に深恩院と総持寺が分離され、すべての寺領朱印を総持寺のある岡崎に移転したため、日近郷に残った深恩院はやがて廃寺となりました。
文明年間(1469年〜1487年)、奥平貞昌が作手の川尻城から日近の名之内城に移りました。
その後、現在の豊田市の梁山妙昌寺・華嶽融に帰依し、深恩院があった地に伽藍を建立して、曹洞宗の寺として再建したのが現在の廣祥院です。
境内には日近の城主二代目、奥平久兵衛貞友の娘であるおふうの墓があります。