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最近投稿した口コミ

上野天満宮 茶屋ヶ坂駅/ 暮らし・生活サービスその他

暮らし・生活
5.0
投稿日:2018/01/19

学問の神様、菅原道真公をご祭神としている名古屋天神、上野天満宮

同神社は学問の神様である菅原道真公を御祭神としている神社で、名古屋市内では同寺と、エキテンで紹介済みの山田天満宮(名古屋市北区山田町)が有名ですね。

場所的には、名古屋市千種区内に所在し、大きな駐車場も完備されていますが、公共交通機関であれば、名古屋市営地下鉄名城線、砂田橋駅下車(1番出口が便利)で徒歩約10分程度のところにあります。

また、同神社は、陰陽学者である安倍晴明(あべのせいめい)一族の一部が同地に移り住んだ時に、自らの境遇と菅原道真公の心情を思い、同神社を建立し手厚く祀ったようです。
その後、江戸時代に現在の地に移転し、数多くの社が合祀されたようです。

さて、大社の前の駐車場(真横にも広大な駐車場有)に駐車し、改めて大社前で一礼し、大社を潜った左側の手水舎で手を清めた後、神道(道の中心部)を通るのを控えながら本殿に向かい、二礼二拍一例し参拝祈願を終えました。

その後、数年前に改築した立派な社務所に立ち寄り、ご朱印を頂きながら、社務所職員に同神社の歴史など質問しながら、参拝を終えました。

あいにく平日での参拝であったため、参拝者は数名でしたが、受験シーズンと正月になると、大変混雑する様相が思い浮かべます。

尚、同神社の御利益は、学力向上、受験合格は無論のこと、開運出世、諸芸上達、安産などにもご利益があるようですので、参拝をお勧めしたいですね。

追記、受験シーズンや正月には大変賑わう神社です。

予算: -

太清寺 勝川駅(東海交通)/ 暮らし・生活サービスその他

暮らし・生活
5.0
投稿日:2018/01/16

徳川家康公が戦勝祈願した由緒あるお寺

春日井市内の外れに、徳川家康公所縁のお寺があったとは全く知らなかったのが現実でした。

神社仏閣を拝観する際は、前以て調べたり、自分自身の知識で出向いていました。

同お寺の山門前に行くと、「東照大権現公由緒地」の特大木板が山門に立て掛けてあるのを見て驚いたことは確かです。

山門を潜ると直ぐ右手には、「太清寺の歴史」という立て看板に目が要り、読んでいたところ、織田信長公が亡くなった後の天下人争いである「小牧長久手の戦い」で、家康公が小牧山城(以前、信長公の居城)より軍勢を率いて長久手に向かう途中、当地の「勝川」の名称を吉慶と喜び、同寺の阿弥陀堂で必勝祈願をしたという由緒書きがありました。
同戦いは家康公の概ね勝利となったことは概ね事実ですが、両軍(羽柴秀吉公VS家康公)の多くが戦死したことも事実です。

さて、境内には山門から真っ直ぐ向かうと、阿弥陀堂、左手には本堂があり、境内には至る所に地蔵様が祀られていました。投稿写真で確認して下さい。
但し、家康公が祈願した阿弥陀堂は江戸末期の台風で大破し、現存する阿弥陀堂はその後の再建らしいですね。

あいにくご住職が不在のようで、ご住職の住居は山門から入り真左奥のようでした。

家康公との所縁がある由緒あるお寺の散策は如何ですか。お勧めします。

歴史ポイント
小牧長久手の戦いでの詳細は、以前投稿したエキテン内、長久手市内の長久手合戦歴史資料館又は市内の神社仏閣を見て頂けましたら私自身が詳しく説明させて頂いております。
また、関ケ原の戦いでの功名で、徳川家康公から土岐、可児・恵那郡内に4,400石賜った直参旗本、千村氏(千村陣屋又は久々利陣屋、岐阜県可児市)所縁の寺であるようですが、残念ながら詳細は不明です。
千村氏は尾張徳川家でも、付家老に準じた特別な家柄であったようです。

予算: -

足助八幡宮 平戸橋駅/ 暮らし・生活サービスその他

暮らし・生活
5.0
投稿日:2018/01/13

同神社の境内に、地頭(武将)足助氏に保護された足助神社がある神社

同神社は、足助の町(古い町並み)に入る手前に所在する神社で、創建は約1400年以上前(西暦673年)と言われており、本殿は桧皮葺の三間社流造社殿で、室町時代の建てられた国指定の重要文化財となっています。
祭礼は毎年10月に執り行われるようです。
また、大鳥居の結構古くて江戸時代末期に改築されたようです。

さて、大鳥居を抜けると、左側に手水舎があり、その向かいには本殿があり、本殿でお詣りをさせて頂いた後に、左横にある社務所にてご朱印を頂きました。
正月の4日のため参拝客もまばらでしたが、参拝客が絶えずお詣りに訪れていましたね。

社務所から見て反対側の右奥には、足助郷と三河地方の一部を治めていた足助氏(後述の歴史ポイントで紹介)が建立した足助神社があります。
創建は明治時代ですが、当地で地頭(武将)として鎌倉時代に活躍した、足助重範公を主祭神として祭られている神社でした。

足助町の古い城下町又は、紅葉などを愉しむのであれば、是非足助町の歴史と言って過言ではない同神社(境内にある足助神社含め)の参拝をお勧めしたいですね。

歴史ポイント
足助氏は、尾張国の地頭である山田重長公(エキテン投稿内の名古屋市、尾張地方の神社仏閣でも紹介済)が黍生城(きびゅう)を築城し、この地に移り住んで足助重長と称し、足助氏の祖となった人物で、以後室町時代末期には8代続いた足助氏が滅び、三河地方の地頭であり、徳川家康公の家臣となった足助氏の一族である鈴木氏(すずき、鱸)がこの地も治めることになったようです。
三河国の地頭、鈴木氏も三河地方の神社仏閣においてエキテンでも紹介済みです。

予算: -

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花の木

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誓願寺

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