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瑞應寺 味美駅(東海交通)/ 暮らし・生活サービスその他

暮らし・生活
5.0
投稿日:2018/04/19

戦国武将 如意城主、石黒重行公所縁のお寺

同寺は、臨済宗妙心寺派のお寺で、鎌倉時代末期から室町時代初期にかけて修行を積んだ高僧の夢窓疎石(夢窓国師)が開基、創建した由緒あるお寺のようです。
また、室町時代の武将で尾張国如意城主、石黒重行公(以下、重行公)とその一族及び、子孫に所縁のある寺で、同寺の山門右前には、重行公を顕彰する石碑が立っており、重行公から八代目の重成公までの墓が残っているようですが、重行公一族は元々、北陸地方の豪族であったようです。
ご住職とは拝観の件で挨拶をさせて頂きましたが、石黒一族の墓石を尋ねなかったことが心残りですね。

さて、名古屋市内の郊外の住宅地として、同寺の境内は大変広く、山門を挟み境内全体を白塗り壁塀で覆われた立派な佇まいのお寺です。

山門を潜ると長い参道の奥には本堂と、右側には鐘撞堂や小山を見立てその小高い天辺には仁王像のような厳しい顔立ちをした銅像が立っていました。(詳しくは不明)

本堂内も拝観の承諾を頂き本堂内でお参りをさせて頂きました。
折角挨拶(前記述)したご住職でしたが、お寺の歴史会話を楽しむべきと思いましたね。

次回、訪れる機会がありましたら、八代続いた墓石にお参りをしたいと思っております。
同寺の佇まいを拝観するだけでも楽しめるお寺でした。

歴史ポイント
重行公は南北朝時代の戦いに敗れた後は、長谷川という母方の姓を名乗り、その地である如意(現在の名古屋市北区如意)に隠れ住み、尾張国守護の斯波氏に仕え、室町時代末期には織田家に仕え、色々な合戦に与力したようです。
同中世城館は、如意城を言いますが、長谷川城(母方の姓)とも呼んでいたようです。
また、重行公の子孫は長谷川姓を名乗り、尾張徳川家の家臣として仕えていたようです。

利用日: - 予算: -

榎白山神社 浅間町駅/ 暮らし・生活サービスその他

暮らし・生活
5.0
投稿日:2018/04/16

織田信長公が桶狭間の戦いで戦勝返礼に太刀を寄贈した神社

同神社は名古屋城(旧那古野城)の西側近くに位置し、織田信長公(以下、信長公)が「桶狭間の戦い」で戦勝祈願、戦勝返礼に訪れた有名な神社です。
詳細は歴史ポイントにて。
同神社の始まりは「白山社」を室町時代中期の1477年、室町幕府の三管領筆頭で、尾張、越前、遠江国の守護であった斯波(しば)吉廉公が創建され、寺院(神社仏閣合祀)の形成を保ちながら現在に至っているようです。
斯波氏の守護代である織田氏(信秀公、信長公より以前、先祖から)からも崇拝を受けていたようです。

また、同神社は名古屋市内の中心である官庁街にも近く、住宅地又は、地元商店街に隣接しているが、都会の神社と異なり比較的境内は広く、大社を正面に直ぐ右側の小道を入れば10台以上駐車出来る舗装された駐車場が完備されています。

さて、大社の前には、有名スポットとして観光案内板が設置されており、本殿の途中には社務所があります。
その前には休憩所が完備されており、2人のご老人が世間話をしていたので、挨拶を含め声を掛けさせて頂きました。
本殿から少し戻っ右側(大社から見て)には、塗り替えて間の無い、神馬(しんめ)像がありましたね。
神馬とは、神が騎乗する神聖視された馬のことですから、神社の多くに神馬があります。

本殿の参拝を終え、社務所でご朱印を頂きましたが、神主さんの奥さんとの会話は後記述の歴史ポイントで紹介しています。
本殿横右には、少将稲荷神社がありましたので、事業者としての立場で事業安定、向上を祈願させて頂きました。
信長公所縁の神社として参拝を含む、歴史が好きな方又は、観光で訪れるのに是非、お勧めしたい神社ですね。

追記、本殿では、エキテンユーザーの友であるキャサリンママさんの妹さんの快気回復、モーツァルト姉さんの膝症状の早期回復、K&Kさんの米国活躍なども同時に祈願させて頂きました。

歴史ポイント
我先祖の主君であり、天下布武を掲げた戦国の覇者、信長公が「桶狭間の戦い」の際、戦勝祈願に訪れ、戦勝返礼に太刀を寄贈(納めた)した神社です。
神主さんが不在で、奥様に「織田家家臣の子孫で◯◯と言います。寄贈した太刀は・・」と尋ねたところ、挨拶の恐縮されながら「ご苦労様です。・・・残念ながら書物の記録だけで、同神社に寄贈された太刀は残されていません。名古屋の大空襲で焼けてしまいました・・・。」との返答でした。
何れにしても、同神社の大小は別として、信長公が熱田神宮と同様、戦勝祈願と戦勝返礼に訪れた神社であることは確かですね。
他にも戦勝祈願した神社仏閣が数ヶ所ありますが・・・。
また、「桶狭間の戦い」で出陣した出発点が清洲城(清洲城址、清洲公園はエキテンでも紹介済)ですが、桶狭間に向かう途中に立ち寄ったのが同神社で、そのルートが「信長攻路、桶狭間の戦い、人生大逆転街道」として、名古屋市観光文化交流局がMAPを作成していますから、歴史MAPが必要な場合は同神社などで頂いて下さい。
同神社(本殿の左側)には参拝記念に無料のスタンプもありますよ。

利用日: - 予算: -

二福寺 多治見駅/ 暮らし・生活サービスその他

暮らし・生活
5.0
投稿日:2018/04/10

東濃地方で有名な永保寺に所縁のある臨済宗南禅寺派のお寺

同寺は、瀬戸方面から多治見市街に入る手前に所在し、臨済宗南禅寺派のお寺です。
同寺は丘陵地にあり、門前から見た外観は中世城館のような佇まいを見せています。
近くには土岐川(庄内川の源流)があり大水害を見越して丘陵地に建立したと思われ、江戸時代の書物には土岐川が氾濫の際には、農住民が避難した記録もあるようです。

国宝又は、重要文化財が多く存在する紅葉の名所で有名な永保寺(多治見市内の臨済宗妙心寺派の寺院、エキテンで紹介済)とは所縁があり、永保寺の末寺のようです。

さて、山門前には数十台駐車出来るスペースがある駐車場が完備されており、拝観者でしたので車を停めさせて頂きました。

山門から眼上を望めば、20数段の階段の上に本堂があり、左横には鐘撞堂があります。

本堂の玄関口は趣きがあり、本堂前には、平成聖観音菩薩が鎮座されています。
また、境内には子供を抱いている水子供養の観音像がありました。
境内の中は、補修工事が行われているため、ゆっくりと外観を楽しめることはなかったのですが、幸いにも本堂の扉が開いており本堂内を観させて頂き、本堂内でのお参りをさせて頂くことが出来ました。
やはり本堂内のお参りは仏閣好きな私の理想ですが、昨今のお寺は本堂内を拝観出来ないよう閉ざされている寺院も多いため、本堂内も観ることが出来る同お寺は理想ですね。

また、拝観することが出来なかったですが、山門前の案内板には、多治見市指定の有形文化財(書画等)も数点あるようです。

同寺の開基は江戸中期で、その当時はお堂が建てられたのが始まりらしく、数十年を経て現在のお寺となったようで、比較的新しい寺院ですね。
もっと詳しいことは同お寺で確認して下さい。

歴史ポイント
同寺の寺紋は、「石持ち地抜き剣方喰」(投稿写真を参照)で、藤原氏秀郷流又は、清和源氏の系統一族が多いようですが、何れの家柄かは不明ですね。
当家も藤原鎌足公、藤原秀郷公を先祖に持ちますが、家紋は全く違いますね。
神社仏閣を巡る時は、寺紋、社紋を見えると神社仏閣の創建者、開基者又は、武将、大名などの所縁、関わりが解るので、神社仏閣巡りは厳かで、愉しく奥が深いですね。

利用日: - 予算: -

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